連続セミナー
平和と暮らしの今を語る――「憲法は今」
2007年5月11日、開港記念会館
和田茂の報告
ただいまご紹介にあずかりました国際運輸労連でアジア太平洋地域部長をしております和田茂でございます。今日、「‘風を吹かそう’神奈川の会」、それから「I女性会議神奈川県本部」の皆様のご協力でこういう会をもたれました事を、そして呼んでいただき話をする機会を与えてくださった事に心から感謝を申し上げたいと思います。
今、言われた通り、現在参議院の憲法調査会特別委員会で今日にも、いや今にも採決がされそうでありますし、それをうけて参議院本会議で14日に国民投票法案が成立するというような状況になっています。そういう緊迫した状況の中で私達の気持はとてもあせるのですが、でもあまりあせりすぎないで地に足をつけた形でいろんな活動をこれからしていくことが大切だと思っています。
その点で、今日私からお話することというのは、あまり理論的なことは得意ではないので、自分自身がどんな気持で憲法を捉えているかということを中心にしたいと思っています。
一つは、現在の日本国憲法がどのようなかたちで生み出されたかということを、自分が周りにいた人から聞いたことを通して考えてみたいと思っています。
もう一つは、現在、平和憲法は押し付けられた憲法だから自主憲法を制定しなければという主張に加えて、安倍首相の「美しい日本」論に顕著に見られるのですが、21世紀の日本にふさわしい新憲法をつくるという主張が前面に出されていることについて考えてみます。これはこれまでの改憲論とは別に、新しい時代にあった憲法を作るんだという形で、少なくとも一見前向きに見える憲法論が出てきているものです。
まず、押し付けられた憲法論についてでありますが、憲法が誕生した過程やその当時の国民の受け止め方は実際どうだったのでしょうか?私自身が聞いた経験から言いますと、圧倒的多数の日本人は、あの何年も続いた苦しくて悲惨な戦争を経験した中で、新しい希望の星として平和憲法を受け取ったのではないかと思っています。
私は広島の山の中で生まれたのですが、周りにいた学校の先生や親あるいは地域の人からいろいろ聞いた中で、平和憲法というのは、本当にその当時の皆の心の中の思いを基に作られたものだということを実感した経験があります。広島で原爆が落ちて、爆心地からいうと40キロ位離れている山の中なのですが、周りには被爆者の方がずいぶんいました。私の学校の同級生にも被爆2世が何人もいました。まあ、今はもう実際の影響はないと言われていますが、その当時、被爆2世の同級生は皆気持ちの中で、いつ病気になるかわからないと不安に思っていろんなことを話していたという記憶があります。
また広島では平和教育ということが、非常に一生懸命にやられていました。私の時代には、小・中学校共、そして高校でも、いろいろな機会を捉えて平和・差別の問題を皆で話したり、話を聞いたりということが授業として行われていました。その中で、被爆者の方から私も何回か経験を聞く機会がありました。10数年も前のことなのに本当に昨日のことのように話される被爆者の方をみていると、「ピカドン」のあの閃光で8月6日のことが心の中に焼きついて消えなくなっているんだ、と思った記憶があります。原爆が瞬時にして地獄を生み出したということ、それをお話する時間は今日ありませんが、被爆者の方が異口同音に言われたことは、「本当に地獄のようじゃったけん・・生きとるのが奇跡じゃ・・原爆はもう絶対落とさせちゃいけん・・戦争はもうしちゃいけん・・」という叫びでした。
戦争について、私により身近に語ってくれたのは、父や母でありました。戦争中父は軍人ではなく日本の国策航空会社のパイロットをしていまして、ビルマ・シンガポール・中国とかを飛び回っていました。母は韓国で小学校の先生をしていました。特に母から私が何度も何度も聞かされた話は今でも記憶に残っております。
戦争がどんどん激しくなっていくと、朝鮮の釜山にいたのですが、そこでも日本人の間で、もちろん朝鮮人の間ではもっとひどいわけですが、食糧事情がどんどん悪くなっていく。その中で、何とか食べていかなければいけない。少しでも節約しようと自宅で切干大根を作って干しておいたのだそうです。そうすると、それが夜のうちに一本二本というふうに盗まれていく。それをみて盗まれるままほっとくわけにいかないですから、母が寝ずの番をして見ていたところ、そこに朝鮮人が来てまさに盗ろうとしているところを見つけたそうです。それで母は「何で盗るんか!」と聞いたところ、朝鮮人の男の人は「わしは腹が減っとるから盗ったんじゃ、あんたら日本人はわしらの国を盗ったじゃないか。わしが生きる為にこれを盗って何が悪いんじゃ」と。「取らんでくれ・・」とは言ったらしいですが、母はその言葉にすごくショックを受けたと言っていました。
こういった日本の植民地支配が、その後敗戦と共に終わり、父も母も引き揚げてきたわけです。そして、その時の悲惨な経験というものも何度も何度も聞かされてきました。
また別の話も聞かされていました。母が小さいころには、釜山港というのは、朝鮮から日本に人を送り出したりする窓口になる港で、フェリーが本当に頻繁に行き来していたそうです。日本の朝鮮植民地化の中で、政策の一環として殖産会社をつくり、それまで朝鮮人の土地だったところで個人の所有者が明確でないところ(入会地と呼ばれる共同地など)を没収してその会社に払い下げました。その結果、厖大な数の農民が土地を追い出されて難民となりました。満州に行ったり、日本に流れてきたりということだったそうですけれど、釜山にも何万人もの朝鮮人難民が、ほとんど野宿をするかたちで港・駅周辺にいたのだそうです。そういうところに、ブローカーのような人たちが来て、人集めをして日本の鉱山・工事現場とかに人を送り出していたそうです。中には、ほとんど強制的にだまして連れて行くようなことが日常的に行われていたことを私は母から聞かされていました。
そういう話を聞いていたものですから高校に入った時、社会科の勉強の一環として、朝鮮人が自分達の暮らしに、地域の歴史にどのようにかかわっていたかということを調べたことがあります。年配の人からの聞き取りを中心に調査したわけです。
調べてみて驚いたのですが、自分が使っていた国鉄の芸備線という線が強制連行された朝鮮人の人たちによって作られたこと、それからもう少し奥に高暮ダムという水利ダムがあるのですけれど、そのダムもほとんど朝鮮人の労働力によって作られたということがわかりました。どちらも朝鮮人は、本当にひどいタコ部屋みたいなところに入れられていたそうです。それから、耳を疑ったのですが、特に高暮ダムを作る時は、安全祈願の儀式として、朝鮮人を生きたまま人柱として埋めたということがわかりました。
また、強制連行された朝鮮人の話を学校でしていた時に、年配の体育の先生で剣道も教えておられたのですが、昔、陸軍将校として中国に出兵されていた当時の自分の体験談を話してくれたことがありました。それは、匪賊退治をするということで、日本陸軍将校達が中国人狩に行って、集めてきた中国人たちを刀の試し切りのような形で首を落としていく。そしてその首を並べていたということを剣道の先生が話されたわけです。それを聞いてから私はその先生の授業を受ける気がしなくなって、剣道をボイコットしたものですから、高一から二年に上がる時に赤点が付くので進級できない、どうするかということになり、実技には参加しないで見学していろということで、最後はあげてもらいました。そのような経験もしました。
聞き取り調査で体験を話してくださった方たちは皆さんもう少なくとも80歳以上になられていると思いますが、決してその方たちは偏っている人たちではなく、普通に身の回りにいる人たちだったと思っています。そういう方々、私の家族も含めて皆が言われていたことは「二度と戦争はしちゃいけん」という事でした。そういう点で平和憲法は、まさに自身の経験と結びついた非常に身近なものとして私の周りの人たちには捉えられていたと思っています。また私は、そういう人に囲まれて学校で憲法を勉強できた事は非常に幸せだったと思っています。
2〜3ヶ月前になりますが、朝日新聞で財界の長老の品川正次さんのことが紹介されていました。今日も国会討論を聞いておりましたら品川正次さんの事を民主党の方が質問で言われていました。品川さんは大正生まれの82歳の方であります。経済人の立場から改憲に反対を表明されていて積極的に活動をされています。
「平和憲法を守れ」という品川さんの主張の原点はご自身の戦争体験の中にあると書かれていました。品川さん自身中国へ出兵され、最前線で激戦にいどんで、自らも負傷されたそうです。そして右ひざの中には今でも砲弾の破片が残っているそうです。そういう中で敗戦を迎え、それから9ヶ月後に復員する船の中で新憲法の草案を同僚と一緒に読んだそうです。そうしたら、その中に「二度と戦争はしない」と宣言した条項が入っているのを見て、これは本当に世界に唯一の憲法だと感激をし、仲間と喜んで抱き合った、ということが新聞記事に書かれていました。
その記事を読みながら私自身は、本当に広島の山の中の小さな自分の経験ではありますが、私が聞いた話というのは決して孤立したものでもなく特殊な話でもなかった、戦争をくぐりぬけた人が共有している気持なのだと改めて感じたわけです。そういう意味では平和憲法が生まれ時の圧倒的多数の日本人は、敗戦後の苦しみや混乱の中でまさにその中に将来への希望を見出されたのだろうと思っています。その意味で平和憲法は文字通り日本人が血と涙で生み出したものなのだというふうに思います。
私は戦後10年たって生まれましたから、生まれた時から平和憲法があるわけですが、幸い周りにそういう戦争を経験された方が多くいらしたということで、9条が生みだされた歴史の重みを知ることができたと思っています。アジアの何千万何億人もの人の生活を破壊して自分達自身も多大な犠牲をはらって生み出した平和憲法をたった60年位の時間で風化させて良いものではないと私は思っています。
しかし、残念ながら現在の状況というのは、そういう点で歴史の風化が進んでいっているのではないかと思います。自民党だけに限らず、民主党の中にも、特に若手の人たちの中に改憲が必要と言われる方が非常に増えている状況にあります。安倍首相の従軍慰安婦問題ですとか南京大虐殺についての非常に傲慢且つ稚拙な主張を聞いていますと、本当に日本は世界の中で孤立してしまうのではないかという危惧を抱かせます。今日は、年配の方も何人かいらして頂いていますので、是非ご自身の経験を、話しにくいこともおありになると思いますが、若い人に伝えていっていただきたいと私は思います。
現在の憲法はアメリカから押し付けられた憲法だから変えなければいけないという議論が片方であると同時に、もう片方で21世紀になって日本もいよいよグローバリゼーションの中で生きていくのだから、そういう新しい時代に合わせて憲法を変えていかなければならないと言われる方々がずいぶん増えていると思います。しかし、新しい装いをもって語られる改憲論も結局のところ、9条を変えて日本を戦争の出来る国にしていくということにつきるのではないでしょうか。
特に攻撃されるのが戦争放棄の9条ですが、これは世界の大きな流れから外れて突発的に生まれたものではない。むしろ、世界の大きな歴史の流れの中で生まれるべくして生まれたものです。最上敏樹さんが書かれた岩波新書の「今、平和とは」の中で、平和憲法が国際法の大きな流れの中でどのような位置にあるかということが非常に丁寧に解説されています。それを読みますとそもそも戦争が駄目だということは、日本だけの専売特許ではないことがはっきり書かれています。
それによると戦争は「国家間の紛争解決の最後の手段」として19世紀までは原則として「合法」でした。しかし、兵器の近代化などで戦争がとめどなく残虐になっていくなかでそれを「合法な手段」として放置しておくことが難しくなっていきます。そして、第一次世界大戦後に作られた国際連盟規約は、前文で「締約国は戦争に訴えないという義務を受諾」するよう求めるにいたるわけです。
しかし残念ながら、国際連盟は十分力を発揮出来なくて、第二次大戦になっていったわけですが、第二次大戦後の国際連合の憲章の中にもこの戦争違法化の流れが受け継がれていきました。国連憲章では、「戦争」だけではなく、より広い「武力行使」も原則禁止としました。そして国連は平和維持のために「集団安全保障」という考え方を取り入れ、安全保障理事会を中心として紛争のできうる限りの平和的解決をめざしてきました。
この点で日本の平和憲法は、世界の流れの中から、決して孤立するものではなくて、むしろその中心にいるものだと言うことが出来ます。もはや戦争は許されるものではない。戦争は人類への犯罪だということを全世界が共有し、国際法として確立しているのだということは、はっきりとした事実です。
そして又、9条2項で、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と書かれていますが、軍隊を持たないというのは別に日本だけの専売特許ではありません。お配りした資料の中に、「週間金曜日」の前田昭さんの記事がありますが、全世界の中で20数カ国が軍隊を持たない国になっているのです。ほとんど小さな島国ですが、日本も島国でありまして、そういう点では共通していると思っています。
前田さんが書かれていますけれど、肝心なことは、日本がせっかく平和憲法を作ったのに、60年間その平和憲法を世界に広めるという努力をしてこなかった。それどころか逆に平和憲法の内容を実質的に封印し空文化することに政府は努力し、様々なことをやってきている。こっちのことのほうが、大きな問題であると言われています。本当に今、私達がやらなければいけないことは、この平和憲法を全世界に広めていく事だろうと思っています。
私は実は労働組合の仕事ですが、頻繁に世界を回ることが多いのです。労働組合の仕事は普通国内なのですが、各国の労働組合が国際的に作っている組織があります。その国際組織には日本からも多くの組合に入っていますが、全世界で、人権蹂躙されたり、弾圧されたりしているところ、あるいは経済的に非常に貧しく生活が苦しい中で何とか組合作りをしたい、そういうところに対して支援をしています。
私のところの組織は交通運輸関係の組織です。本部はロンドンにあります。私は今、アジア太平洋の責任者としてこの地域約27、8カ国を中心的にお世話しています。最近では特にビルマのアウン・サン・スー・チーさん達がやっている民主化運動の支援や、インドネシアでスハルト政権が倒れた後、労働組合をいかにして作るかなどを援助してきました。
そういうかたちでアジアの国を回ってみると、今の世界がどうなっているかということが良くわかります。片方ではアメリカが非常に大きな力をグローバリゼーションの中で持ってきている。もう片方では、形の上では世界に向かって国が開けていくということで良さそうに聞こえるのですが、実際に起きていることは発展途上国の中での社会の二極化が急速に進んでいます。ものすごいお金持ちが出来ているけれど、大部分は社会の底辺に沈んでいく。一ヶ月にたとえばインドネシアだったら50ドル(6000円位)が工場労働者の賃金です。ビルマだと30ドル(4000円位)、一ヶ月ですよ。そういう給料で皆働いているわけです。
そして、そういう人が生み出した富が国際化した株式市場や外国為替市場などを通じていろんな形で先進国の資本に吸い上げられていく。大部分はアメリカに吸い上げられていく。そしてアメリカの中では、それを軍事費に使って世界中で戦争をやっていく、そういうお金に使われていっていることが良くわかります。そういう意味で発展途上国の人々は本当に大変な状況に置かれています。
しかし日本を見た時、私は日本も非常に発展途上国と似てきているなと感じるわけです。戦後の日本の発展は、大きな流れとして、品川さんも言われていましたが、軍備に大金を使うアメリカのようなやり方ではなく、平和憲法を柱にして民生を中心に国を作っていくやり方、その中で経済を発展させていくというやり方で生み出されてきたのです。
しかしアメリカはそうしないで、軍備に大金を使い続けてきたわけです。今、まさにそのアメリカのシステムの中に全世界が組み込まれようとしていることを私は非常に強く感じています。アメリカ単独ではやっていけないので、世界中から富を集める。あるいは、日本のように何でもいうことを聞いてくれるところだったら、あからさまな形でお金をむしり取っていくということがやられていると思います。
たとえば今度、アメリカ軍の再編の中で、グアムへの移転経費も含めて日本に対して3兆円負担しろということになって日本政府は国民に説明もしないで受け入れています。それから、毎年「思いやり予算」ということで米軍に2,400億から2,500億円を日本政府は支出しています。今度、原子力空母が横須賀を母港にしようとしています。原子力空母は大変大きな船ですから、母港とするためにはそれに見合った港の規格や設備が必要になります。今の横須賀港だと原子力空母が入ると船底が底につく恐れがあるのです。だから船底が底につかないように深くしなければいけないわけです。この浚渫工事をするのに日本政府はついこの間決定しましたけど、28億円かけるそうです。日本が税金を使ってアメリカ軍の原子力空母を迎え入れるというのです。そして今後は、ミサイル防衛計画に総額6兆円位かかるといわれています。本当にミサイル防衛に役立つかどうかもわからないのに6兆円が使われていく。
結局、日本政府のやっていることはアメリカの軍事体制の中に自ら組み込まれていくことです。その為に、自衛隊の軍隊としての活動を縛っている平和憲法を変えようとする大きな動きが出てきているのだと思っています。そしてそれを「21世紀にふさわしい新憲法」などと国際情勢に絡めて説明されようとしています。
つい最近、安倍首相がアメリカに行きましたが、そこで「憲法9条を変える」ということをわざわざ言ったのは、アメリカに対して非常に率直にその意思を伝えたのだと思っています。日本国民に対しても、アジアの国々に対してもきちんと説明しないで、アメリカで改憲を表明してくる。その点でも安倍首相らが唱える改憲論が、大きなアメリカの世界戦略の中に日本を巻き込んでいく一つの流れだと言えると思っています。
そしてそれは単に憲法や軍隊だけの話ではなく、この流れの行き着く先は、日本がもっと軍事にお金を使って福祉を切り捨てていくアメリカ型の国家に変わっていくということです。国の予算は限られているわけですから、軍事にお金を使っていけば今度は福祉に使うお金が削られていく。その結果低所得者や弱者が切り捨てられて、いわば社会の底が抜けた形となり、国民生活が非常に厳しいところに追い込まれていくのだと思います。昭和15・16年頃の日本の国家予算では約4割が軍事費に使われていたそうです。それが現在では、全国家予算の約4割が福祉に使われています。平和憲法をかなぐり捨てて国の形を変えていくということは、またこれを置き換えてしまう道ではないかと私は非常に危惧しています。
規制緩和や民営化も改憲論と同じアメリカ化の流れにある問題だと思っています。何でもかんでも自由競争ということで、労働市場も規制緩和で不安定雇用が急増し、その結果生み出されていっているのが格差拡大社会です。
福祉が切り捨てられた社会でこのまま格差が拡大したらどうなるか、その点でまさに日本がこれから今後数十年にわたってどういう国になっていくのか、その選択を迫るのが改憲問題の本質だと思いますし、私達が国民に訴えるべき中心点もそこにあるのだと思います。
戦争の出来る国になってアメリカの世界戦略の中に組み込まれていくのか、それとも平和憲法を掲げて世界の中で軍事ではない民生中心の国を維持し、国内では贅沢は出来ないけれど安心して暮らせる福祉社会を築き、国際的には民主主義のこと、人権のこと、貧困対策のこと、そういったことで世界に貢献できる国になっていくのか、その分かれ道に私達は来ています。
国民投票法案は今の国会状況だと通ると思いますが、通ったからといってあきらめることはないと思います。今日の集会のような取り組みをきっかけとして、これから夏の参院選で平和憲法を守る議員を一人でも多く生み出す。さらには3年後には本当に改憲ということが具体的に提案されると思いますが、その時に負けないような勢力を一歩一歩作りあげていくことだと思います。
私は、高校生の頃少し学生運動をやりました。そのころは派手なことが好きでしたから、ゼッケンを付けて町を歩いたりすることを平気でやっていました。しかし今は仕事をしていて毎日事務所に行くわけで、労働組合関係とはいえ事務所にゼッケンを付けていくことはなかなかできないもので、その点で私には非常に忸怩たる思いがあるのです。改憲の動きがこういうところまできているのに何もしないでいるというのは・・・たまにはデモにも行くけれど、仕事を持っていると毎日デモに行くわけにもいかない、・・日常の中で何か出来ないかという気持ちがあるわけです。
そこで、自分では非常に小さなことですが、(襟の赤いリボンを指して)自分でこれを作りました。これ「9」という形になるようリボンを作りました。ここに簡単ではありますが自分の思っているメッセージを書いて、これを毎日通勤に付けていくようにしています。いろんなやり方があるでしょうが、一人ひとりが自分の出来る範囲のことで、しかし他の人にわかるかたちで、外にメッセージを出していくことが私は大切なのではないかと思います。
ありがとうございました。